甲子園大会動かした主張
清水責先生との出会いは、1990年夏の甲子園球場バックネット裏でした。わたしより二回りほど年上でしたが、年齢を感じさせない若々しさが第一印象でした。
高校野球評「白球譜」をはじめ、先生の「しんぶん赤旗」スポーツ欄への執筆は、試合の詳細な分析にとどまらず、歴史の素養を駆使した戦争と野球のかかわりなど、圧巻の内容でした。高校野球関係者が読んでも「なるほど」と思ってもらえる内容を意識したもので、「敗者にも校歌を」との主張は、とりわけ鮮烈でした。先生の主張が高校野球連盟(高野連)関係者の目に触れたのか、その後まもなくイニングの間に両校校歌が流れるようになりました。いまでは、甲子園大会にすっかりと定着しています。
天理高校という名のある強豪校で指挿をとってこられた「実績」が、論評の内容に重みをもたせているのかな、と感じたこともありました。
雑談のなかで「高校時代の江川卓(元巨人投手)の遠投を見たときは、本当にびっくりしたよ」と実感をこめて語っていたこと。
わたしがある強豪校の監督就任期間の長さについて、本欄で「公のポジションは適切な時期に交代すべきでは」との文を書き、それに批判的な意見が寄せられたことを話すと、その監督をよく知る立場にある先生から「いやぁ、あの文はぼくの感覚からすると抑えすぎで気にする必要はないよ」と激励をうけ、気持ちが楽になうたこと。
わたしの母校・浜田高校(島根)が、70年代に甲子園に出たとき、先生の率いる天理と対戦し、わたしもその試合を球場で観戦していたこと…。さまざまなことが脳裏に想起されます。
また、監督・部長時代には天理高校教職員組合の委員長を務め、組合、部活、教員の本務を〝三立″したことは、大変な努力なしにはできなかったでしょう。
その業績を振り返りつつ、高校野球界に、先生のような卓越したスポーツへの見識と指導力を兼ね備えた、歴史のリレーランナーが登場することをつよく願っています。
(元京都府立亀岡高校野球部監督、現南丹高校教諭 山根 直)[しんぶん赤旗」12・25付