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奈良宗教者九条の会

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立正佼成会緊急声明

閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない
安全保障法制の整備について」に対する緊急声明



平成26年7月1日
立正佼成会

 政府は本日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を発表し、日本が直接攻撃されていない場合であっても、密接な関係にある他国の武力衝突に自衛隊を派遣し、戦闘行為を認めるという集団的自衛権の行使を認めました。立正佼成会(以下、本会)は、平成26年3月10日、「日本国憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に対する見解」を表明しました。今回の閣議決定に対しても、重ねて反対の意を表するものであります。

 政府が発表した「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」では、「抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠」と明記されています。これまでの政府の国会答弁によれば「武力行使を行うか否かは、時の内閣が総合的に判断」するものとしています。集団的自衛権として武力の行使を容認することは、「戦争」そのものを容認するものであり、かつ、時の一内閣による憲法解釈の変更によってこのような国家行為を容認することはとうてい許されるものではありません。

 本会の庭野日敬開祖は、「猜疑がなければ、紛争も起こりえません。まことに、信頼こそは、人間社会成立の基礎となるものなのであります」と述べております。不信を払拭し、確かな信頼を醸成していく努力こそが、今何よりも重要でありましょう。

 人類の歴史を顧みるとき、諸国民の間での疑惑、不信そして猜疑によってしばしば戦争が引き起こされました。私たちは、武力と戦争では「国民の命と平和な暮らし」を守れないことは学んだはずです。今こそ、この歴史の教訓を想い起こさねばなりません。真に平和と安全を構築するためには、寛容と互譲の精神で相手の違いを受け入れ、認め合い、信頼を醸成し、他者と共に生きる基盤を整備していかねばなりません。今、私たちに問われているのは、宗教はもとより、政治、経済、産業、メディア、学問、教育、文化、観光など多様な分野で信頼醸成の基盤を強化し、これを世界の平和と安全を実現するための最大の戦略目的とすることであり、ここにこそ日本の国際的役割があると信ずるものです。

 釈尊は『法句経』の中で、「まことに、怨みは怨みによっては消ゆることなし。慈悲によってのみ消ゆるものなり」と教えています。暴力に暴力で対抗し、怨みに怨みで応じることは、新たな暴力、絶えることのない怨みの連鎖を生み出します。これは、いつの時代にもあてはまる「真理」であります。

 本会は、これまで仏教の説く「不殺生」「非暴力」そして「慈悲」の精神を平和実現の第一義とし、国内外の諸宗教者はもとより、国境や地域の別を超え、あらゆる分野の人びととの交流と対話を深め、世界平和の実現に努めてまいりました。私たちは、今後ともこの努力を重ねるとともに、日本国憲法のもつ平和の力を信じ、世界に向けて発信していく決意を新たにしております。

以 上
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# by 9nara | 2014-07-03 07:28

集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に関する全日本仏教会理事長談話

本会は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に関する理事長談話を、7月1日付けで報道各社にプレスリリースを致しました。


集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に関する理事長談話


私ども公益財団法人 全日本仏教会は、定款にも示されるように、仏陀の「和の精神」を仰ぐことこそ、世界の恒久平和の要諦であることを提言し続けてきました。

それは、この精神に基づく「共生」の思想が、歴史的にも今日的にもわが国伝統仏教界を貫流し、しかも重大な現代的意味を持つとの認識と自覚によるものであります。

「共生」とは、すべての人間は生きあう「いのち」を生きているという平等性であります。それは、同じ「いのち」を分けあって生きているとも言えましょう。したがって、生きあう「いのち」どうしが争うと「いのち」全体が損なわれてしまうのです。

本日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされたとのことでありますが、これが実行されれば、日本人が国外で人を殺し殺されるという事態が起こり得る可能性があり、日本国憲法に示される戦争放棄を捨て去ることになりかねません。

戦争は最大の暴力であり、無辜(むこ)の人々に犠牲を強いる愚行そのものであります。いかなる理由であれ、自己を正当化して、かけがえのない「いのち」を武力で奪いとることは、何人にも絶対に許されることではありません。

この厳粛なる事実こそ、平和に生きようとするすべての人々にとっての燈火であり、寄る辺であると、私たちは教えられてきました。主張や利害の対立は、武力行為によってではなく平和的な話し合いによって解決されなければなりません。

仏陀の「和の精神」を仰ぐ者として、このたびの集団的自衛権の行使を容認する閣議決定には、人間の知恵の「闇」を垣間見るがごとき、深い憂慮と危惧の念を禁じ得ません。




2014(平成26)年7月1日
公益財団法人 全日本仏教会
理事長  齋 藤 明 聖
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# by 9nara | 2014-07-03 07:25

九条の会「全国交流・討論集会」

九条の会「全国交流・討論集会」は11月16日(土)、於・東京です

各地の皆さまにおかれましては、あらかじめ日程の確保をお願いします。
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# by 9nara | 2013-09-03 15:16

日本国憲法の値打ち  憲法の危機にどう立ちむかうのか  森英樹名古屋大学名誉教授

本当の標的は九条

 安倍首相は1月30日の衆議院本会議で「96条改正に取り組んでいく」と表明しました。首相が国会で憲法の条項を名指しして改正に言及したのは史上初です。
 96条をなぜ変えるのかという論拠について、自民党のパンフはこう説明しています。「憲法改正は、国民投票に付して主権者である国民の意思を直接問うわけですから、国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう」。
 つまり、“主権者のため”という理屈を前面に出してるんです。
 2月8日の衆院予算委員会では、出来レース的に96条改正の理由を問い質した維新の会・中田宏議員に対して安倍首相が「国民の70%が憲法を変えたいと思っていたとしても、3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば指一本触れることができないというのはおかしい、という常識であります」と答えたんですね。中田議員は「96条の緩和は憲法改正の中身ではなく手続の話です。中身は慎重に様々な議論をしていく必要があるが、その議論を、緊張感をもって進めるためにも手続の緩和が必要なのです」と応じました。“主権者国民の過半数賛成で成立する憲法改正を、たかが国会議員、たかが3分の1が妨害しているのは実にけしからん”という理屈なんですけれども、学会に身を置く私たちにとって、実は初めて聞く論理です。また“改憲の中身ではなく手続論だから気楽にやろう”というのも乱暴な話です。
 彼らの本心はハッキリしていて、九条などの改憲をしやすくするために、まず96条のハードルを緩めておきたい。“主権者のため”というのはそれを隠蔽するための論拠であることは間違いありません。

 改憲は難しくて当然

 この理屈にどう反論していくのか。 なぜ憲法は一般の法律よりも改正が難しいのか”を突っ込んで議論する必要があります。
 憲法改正を一般の法律よりも難しくしている、いわゆる「硬性憲法」をほとんどの国が採用しているのは一体なぜなのか。そしてその奥にある近代憲法の理念とは一体何なのかということが、自民党の96条改正の論拠では意識的に無視されている気配があります。このあたりは長い憲法運動の中であまりちゃんと議論をしてこなかった問題領域ですので、急いで理解を深める必要があります。
 近代憲法の理念とは一体何か。これは解釈論ですけれども、憲法とは国民の自由と権利を確保する法であり、そのために国家権力に制限を加える法が憲法なんだ、という考え方です。生身の国家権力というのは放っておくと国民の権利や自由を奪いやすい、だから憲法で国家を縛るんだ、という考え方です。で、権力者はこういう理念を嫌いますから、憲法の変更を国家権力の一部である国会が提案する時にはハードルを高くしておく必要がある、こういう考え方で日本国憲法の改正手続は妥当なんだ、という理解の仕方のほうが学会ではむしろ常識です。
 安倍首相がそうした常識に反した言い方をしている背後には、自民党が公表した「日本国憲法改正草案」の中に、こういう近代憲法原則をやめてしまうんだということを示している箇所がいくつもあることと響き合っています。

 国民縛る憲法に逆転

 現在の憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定めています。人権の永久不可侵性を謳(うた)って憲法の核心部分を掲げています。同98条で「この憲法は、国の最高法規」とあるのは、法のピラミッドの一番上にあるというだけではなくて、憲法がこのように基本的人権を保障しているから最高法規になったということであり、近代憲法の理念を見事に表しています。
 ところが自民党の「改正草案」では現憲法97条の条文は全て削除なんです。基本的人権の考え方が“けしからん、近代憲法やめる”って言ってるわけです。
 現在の憲法第99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は」、ここでいう公務員はひと言で言えば権力担当者なんですが、その人々は「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めています。ここに挙げられている権力担当者たちは、放っておくと人権や国民生活を侵害する可能性が高い、いわばブラックリストだと言い放ったのは、あの毒舌の評論家・佐高(さたか)信(まこと)さんですけれども、全くその通りです。
 ところが「改正草案」第102条の2では憲法の尊重・擁護義務から「天皇又は摂政」を外しています。同1条で「天皇は、日本国の元首」としたことと深く関係があるんだろうと私は思いますが、ひと言でいうと権力者は天皇の名のもとで何をやっても自由ということになります。その上で、天皇以外の権力担当者の憲法尊重・擁護義務から「尊重」を外しました。じゃあ誰が「尊重」するのか。「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(102条)と逆転しています。
 国民の人権・自由のために権力を縛るのが憲法なんだ、という理念に照らして「改正草案」を見ると、それはもう近代憲法ではない、国民を縛る憲法に転換したということです。近代憲法原則を平気で放棄する精神だから復古的な内容になったし、あるいは改正手続も緩和してしまうわけです。

 原点に返った運動を

 9条の精神というのは、そんな難しいものではありません。例えばNHK大河ドラマの「龍馬伝」では、薩長のいがみ合いを見ていた龍馬がひと言、こう言うんです。「殴り合いでは、なんも変わらんぜよ」。本当にその通り、9条精神ですよ。それを国民が深くうなずきながら見ている、そういうメンタリティーがあると思います。
 「八重の桜」では山本権八という八重の父親、この人、鉄砲師範だったんですけれども、鉄砲を撃ちたがる八重に対して諫(いさ)めるようにこういうセリフを言っておりました。「鉄砲は武器だ。戦(いくさ)になれば他人(ひと)さ撃ぢ殺す。鉄砲を撃づ怖れを知らず。形だけまねていだら、いづか己の身さ鉄砲に滅ぼされる」、まさにこういう9条精神を、日常生活の中で私たち市民は受けとっているわけです。
 この辺を手がかりに、もういちど憲法の原点に返った運動、原点に返った批判をいまの安倍政権にぶつけていくということが大事ではないかと思います。  (文責 編集部)
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# by 9nara | 2013-06-10 07:01

香芝九条の会が「六周年記念 講演と文化のつどい」開催へ

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# by 9nara | 2012-06-11 14:52 | 県下の動き

第8回憲法講座及び「九条の会」奈良全県交流集会を開催へ

    第8回憲法講座                13:30~15:10
    日時 5月4日(みどりの日) 午後1時開場、1時30分開始
    会場 奈良県文化会館小ホール 
             近鉄奈良駅北東出口から5分、奈良県庁西
    講師 小森陽一さん(「9条の会事務局長・東京大学大学院教授)
    演題 「大震災・原発事故から日本国憲法を考える」                        
 
全県交流集会    15:20~16:50
第一分科会  小森陽一さんを囲む交流会 小ホール
第二分科会  第3会議室(50席) 原発と憲法九条
     第三分科会  「九条の会」の活動交流会 第2会議室      
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# by 9nara | 2012-03-21 15:13

小さい九条の会が原発テーマに「第12回車座トーク」

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# by 9nara | 2011-12-30 09:21 | 県下の動き

明日「原発問題と宗教者」の学習会

 奈良宗平協が、明日(29日)午後4時から「原発問題と宗教者」の学習会を開催します。場所は奈良市西之坂町の明光寺本堂。宗教者以外の方も参加できるようです。
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# by 9nara | 2011-10-28 11:08

清水貢先生をしのぶー元京都府立亀岡高校野球部監督 山根 直

甲子園大会動かした主張

 清水責先生との出会いは、1990年夏の甲子園球場バックネット裏でした。わたしより二回りほど年上でしたが、年齢を感じさせない若々しさが第一印象でした。

 高校野球評「白球譜」をはじめ、先生の「しんぶん赤旗」スポーツ欄への執筆は、試合の詳細な分析にとどまらず、歴史の素養を駆使した戦争と野球のかかわりなど、圧巻の内容でした。高校野球関係者が読んでも「なるほど」と思ってもらえる内容を意識したもので、「敗者にも校歌を」との主張は、とりわけ鮮烈でした。先生の主張が高校野球連盟(高野連)関係者の目に触れたのか、その後まもなくイニングの間に両校校歌が流れるようになりました。いまでは、甲子園大会にすっかりと定着しています。

 天理高校という名のある強豪校で指挿をとってこられた「実績」が、論評の内容に重みをもたせているのかな、と感じたこともありました。

 雑談のなかで「高校時代の江川卓(元巨人投手)の遠投を見たときは、本当にびっくりしたよ」と実感をこめて語っていたこと。

 わたしがある強豪校の監督就任期間の長さについて、本欄で「公のポジションは適切な時期に交代すべきでは」との文を書き、それに批判的な意見が寄せられたことを話すと、その監督をよく知る立場にある先生から「いやぁ、あの文はぼくの感覚からすると抑えすぎで気にする必要はないよ」と激励をうけ、気持ちが楽になうたこと。

 わたしの母校・浜田高校(島根)が、70年代に甲子園に出たとき、先生の率いる天理と対戦し、わたしもその試合を球場で観戦していたこと…。さまざまなことが脳裏に想起されます。

 また、監督・部長時代には天理高校教職員組合の委員長を務め、組合、部活、教員の本務を〝三立″したことは、大変な努力なしにはできなかったでしょう。

 その業績を振り返りつつ、高校野球界に、先生のような卓越したスポーツへの見識と指導力を兼ね備えた、歴史のリレーランナーが登場することをつよく願っています。

(元京都府立亀岡高校野球部監督、現南丹高校教諭     山根 直)[しんぶん赤旗」12・25付
    
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# by 9nara | 2010-12-25 06:56

清水貢氏のお別れ会

お別れ会(50日祭)

日時 2011年1月16日(日)午後一時
場所 天理教長谷川分教会
(住所 奈良県桜井市大字慈恩寺296 電話 0744-42-2691)
  
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# by 9nara | 2010-12-19 11:21