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奈良宗教者九条の会

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カテゴリ:憲法9条を語る( 6 )

いま憲法9条をー宗教者は語る  真宗大谷派僧侶 蒲 信一さん

〝殺すな〃の普遍的価値 


 安倍政権というのは、安倍育三首相白身が岸儀介元首相の政治を模範とする、と繰り返し発言しているように、岸政権の流れにあります。

 岸政権というのは、自民党政治の中でも、戦争犯罪人による軍国主義政治という意味で最もあしき存在の一つです。一九六〇年の安保改定のときには、国会に押し寄せる国民のデモに対し、自衛隊の治安出動を要請しました。日米軍事同盟に反対する国民世論に、文字通り銃口を向けようとしたのです。

 私は五三年生まれで、安倍首相は私より一つ年下です。この世代は、学生になったころには「学園闘争」も終わっていたことなど、〝すべて遅れてきた青年たち″でした。労働運動がすべていいとも患わないが、市場原理がすべていいとも思わない、冷めた目でもの
を見られる世代ではないかと思っています。

戦前回帰を拒否

 ところが、安倍氏の思想傾向は極端な反共に傾いている。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、教育基本法改悪や憲法改悪を目指すという主張は、戦前の日本を美化し、号」への回帰を求めるものです。これは、言ってみれば民主主義の否定です。こんな政
治が長く続くはずがないし、続けさせてはならない。そしてこのような政権に、憲法九条を変えることを許してはならないと強く思います。

 安倍自民党は、二〇〇五年の郵政選挙で得た三百議席でオールマイティーな力を授かったかのように錯覚し、教育基本法改悪や改憲のための国民投票法など、いくつもの重要法案を強行してきました。国民の意思を無視した非民主的な政権運営に対し、参院選挙で国
民は鉄ついを下したのです。

 憲法はアメリカが押し付けたなどといわれますが、大切なことは、九条が〝人を殺すな、殺されるな〃という普遍の価値を表していることです。だからこそ、憲法前文にある〝国際社会で名誉ある地位を占める″ことも可能なのです。

歴史の教訓くむ

 戦前の日本では、社会のシステムすべてが軍国主義の方向に編成される中で、宗教勢力もその一翼を担うという過ちを犯しました。
 真宗大谷派も「皇道真宗」と名のるなど、軍事体制に迎合しました。親鴬聖人の言葉の中にある、厳しい天皇制批判が軍部ににらまれることを恐れ、自らそれを削除しました。宗祖の首に手をかけたのと同じことです。そして、〝天皇の詔(みことのり)を頂き敵地において玉砕することは弥陀(みだ)の本願にかなう″などといいながら、多くの門徒さんを戦地に赴かしめた-。その罪は万死に値するもので、深い慚愧(ざんき)を禁じえません。

今、平和な時代にそんなことを言っていても、いざ厳しい時代になったらどうなるか、それは誰もわからないかもしれません。しかし、だからといって、批判も自己批判もやめてしまってはだめなんです。平時だからこそ、きちんと総括を深め、二度とうしたことがおこらないようにする。首相の靖国参拝など歴史を逆戻りさせ衝動きの中で改憲が押し出されているいま、歴史の教訓を深くくみ取ることが必要です。




蒲信一さん(かば・しんいち)
 1953年、神奈川県逗子市生まれ。大谷大学卒業。真宗大谷派浄柴寺(横須賀市)住職。小泉首相・石原東京都知事靖国参拝違憲訴訟の会・東京原告団長
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by 9nara | 2007-09-22 04:39 | 憲法9条を語る

いま憲法9条をー宗教者は語る 日本キリスト教団 朝岡 膠さん

 私たちの教会では、もともと「この世」の社会問題についての取り組みより、一人ひとりの内面と魂の救済を重視してきました。そういう保守的な教会が政治・社会問題にも取り組まねばならないと気づきました。そのきっかけは、一九六〇年代以降、靖国神社の国家護持問題が起こってきたことです。

 戦前、キリスト教会は天皇崇拝と戦争協力を強制され迫害を受ける一方、抵抗し切れなかった人々が侵略戦争と天皇崇拝に加担するという大きな過ちを犯しました。自分の信ずる真(まこと)の神以外のものを「神」として拝むことは、キリスト教信仰の最も大事な柱に反する行為でした。靖国問題が浮上する中で、歴史の教訓を呼び起こすことが求められました。

相次ぐ強行採決

 いま、森・元首相の「日本は天皇を中心とする神の国である」という発言に続き、小泉前首相の靖国神社への連続参拝とイラク戦争支持の強行、さらに安倍晋三首相の憲法を露骨に敵視する「戦後レジーム(体制)からの脱却」論と連続しています。教育基本法改悪、改憲の国民投票法で強行採決が相次ぎました。
 戦前・戦後と保守的なメンタリティー(精神)はずっと連続してきたと思いますが、過度に先鋭的な主張に対しては、政治の責任をあずかる人たちには、ある種の〝わきまえ〃がありました。ところが今の政治は、そうした〝わきまえ〃を失い非常に暴力的です。少数者の声の中にある真実を聞き取る共感や想像力を欠いています。

 とりわけ安倍政権のもとで、戦前回帰の動きが加速し、次第に戦前のようなこわばった空気が広がっていく中で、沈黙を続けていていいのだろうかという強い思いがあります。一度同じ痛みと過ちを体験した日本のキリスト者が、キリスト者であり続けるため、「信仰の証明」にかかわる問題「として、政治、社会のあり方について発言せざるを得ないと思うのです。

 靖国神社の問題・政教分離の問題と、九条改憲の問題は、まさに一体。日本を再び「戦争する国」にさせていく流れにあります。人々が喜んで国のために命を捨てるような精神的仕阻みが靖国神社の問題です。

 イエス・キリストは、「平和をつくる者は幸いです。その人は剣の力を愛で吸収する神の子どもと言われる」(マタイ福音書)と言っています。聖書世界の璧口であったユダヤ、パレスチナの最下層の庶民に、ローマの支配に対し力による対抗や復讐(ふくしゅう)ではなく、「平和をつくる」と呼びかけたイエスの言葉は、今の私たちにとっても挑戦すべき課題です。
 また、イエスは剣をとるものは剣によって滅びと言っている」と言い、「右の頬(ほお)を打たれたち左を差し出し、下着を取ろうとする者には上着もやりなさい」と言いました。これはよく「博愛」思想と言われますが、剣の力を愛の力で吸収し、憎しみを無力化してしまうということです。

イエスと同理念
       
 戦力不保持を定めた憲法九条が目指すのも、これと同じ本当に大きな理念です。それをととらえきれずに、押し付けかどうかとか、日米同盟がどうだとか、小さな議論に押し込んでしまうのは本当に情けないです。
9条は日本のためだけにあるのではなく、世界の平和のために与えられたものです。大切にしていきたいと思います。

 


朝岡 膠さん(あさおか・まさる)1968年、茨城県生まれ。神戸改革派神学校卒業。90年から日本同盟基督教団牧師。現在、同教団「教会と国家」委員長、徳丸町(東京都板橋区)キリスト教会牧師 「いたばし9条の会」世話人
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by 9nara | 2007-09-22 04:36 | 憲法9条を語る

案内宗教指導者「憲法9条を語る」

 宮城泰年師は、6月11日 、聖護院門跡第52代門主本山修験宗第4代目管長に就任されました。




宗教者九条の会が協賛することになりました。
 6月26日の「朝日」に続いて、6月30日付「毎日」奈良版「街角ファイル」にも「香芝で第一回憲法セミナー開催」と告知記事が掲載されました。

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by 9nara | 2007-06-01 11:54 | 憲法9条を語る

第41回「建国記念の日」に反対する県民集会

2月10日(土)6時より奈良県教育会館で
一橋大学教授 渡辺 治氏を迎えて講演会がありました。
演題は「安倍政権は日本をどこへ導くか?―改憲と構造改革のゆくえー」 でした。
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by 9nara | 2007-02-14 21:03 | 憲法9条を語る

いま憲法9条を宗教者は語る 「信頼」基礎に平和めざす 富山大学名誉教授 中本昌年さん 

 私は浄土真宗の開祖・親鸞の教えに学んできました。いま親鸞はじめ仏教の教義を抽象的にではなく、現実の改憲や国家の動きとの関係でより具体的に考えることが大事だと患います。

 日本国憲法の素晴らしさはアジアと世界の国々に対して開かれているところにあると思います。開かれているというのは人類の深いところにある平和への願いを表現しているからです。
 それが憲法のどこに表れているかというと、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という文言です。そしてその理念を具体的な形にしたものが九条の「戦力不保持」と「交戦権の否認」です。

 個々の命はみなそれぞれで生きなければなりません。そこから命は利己的になってしまうという面が生まれます。他方、浄土真宗で七人の高僧の一人とされる源信は、「地獄」とは、同伴者のない孤独だと言っています。

他者と支えあい

 つまり、命は深いところで、他者と支えあっています。命は他者によって補われてはじめて命として成り立ちます。孤独は命の否定なのです。宗教は他者とともにありたいという人間の、あるいは命の根源的な願いに向かい合っており、それゆえ宗教は本来的に平和と不可分な関にあるのです。

 人間が戦争を繰り返しながら長い歴史を生きのびてこられたのは、人々の平和の願い、公正と信義への信頼があったからです。
 ところが人類は現代において、命の利己的な面の最も極端な現れである核兵器を出現させました。「ラッセル・アインシュタイン宣言」(一九五五年)は、「人類は核兵器と共存できない」と警告を発しました。生命の根源である地球も危機に面することになりました。

人類共存の原理 

 日本は唯一、核兵器を使用された国です。その体験によって、人類死滅の危機を回避するという課題に立ち向かうことになったのです。それが憲法を生み出した大きなエネルギーでした。
 人類が共存できる原理は何かという問題に出合い、その答えとして「信頼」という精神に出合ったのです。武力でも核兵器でもなく、平和を愛する諸国民への「信頼」を力にするということです。憲法九条とその大本にある信頼の原理は、日本だけのことではなく、人類全体がそこへと進まざるを得ない歴史的使命と課題を表すものです。

 改憲派は「公正と信義に信頼」という言葉を「空想だ」などと攻撃しています。しかし、この「信頼」は単純に出てきたものではなく、人類の全歴史を背景にしているのです。自民党の「新憲法草案」のように侵柊戦争への反省を投げ捨て、隣国を敵視し、自分だけが生き残ろうとするよう
な、世界に対し「閉じた」憲法に変えることこそ時代錯誤にほかなりません。

 哲学はどこまでも疑うことを旨としますが、宗教は信義と可能性に向け自らの生のすべてを委ねるものです。信頼を基礎に平和を目指すという九条の可能性を否定してしまうことは、信仰をも否定するものだと私は考えます。




 なかもと まさとし1940年石川県生まれ。東京都立大学大学院修了(哲学)。親鸞と清沢満之の仏教思想を中心に生きることを学ぶ崇信学舎の同人。「憲法九条in富山」呼びかけ人

 <しんぶん赤旗>2006年12月20日付
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by 9nara | 2006-12-31 21:41 | 憲法9条を語る

いま憲法9条をー宗教者は語る   日本聖公会・正義と平和委員会委員長 谷 昌二さん

沖縄の痛みと共に生きる

 日本国憲法の一番大切なところは、人権を保障し、国民一人ひとりを大切にするところにあると思います。政府が国民を兵力として使い、その兵士が人の命を奪うことをさせないのが九条です。九九条の公務員の憲法尊重擁護義務の規定に、義務の担い手として「国民」が入っていないのは、人権擁護の精神を背景に、憲法は国民が国家に守らせるものだということを示しています。

 イエスは、貧しい人、虐げられた人、小さくされた人と共に生きながら、その痛みを背負い、その病を癒やし、神はどんな人をも一人ひとり無限に大事にしていると教えました。憲法はまさに私たちの信仰が求める国のあり方を示すものです。アジア諸国民と日本の国民が被った惨禍と引き換えに与えられた、世界でも貴重な憲法です。

 改憲派は憲法のあり方を逆転させ、国民に憲法を守らせることで義務を押しっけ、国家の兵力として取り込もうとしています。再び国家主導で国民を戦争の道具にするような憲法にして
はならないと思います。

今でも基地被害

 私は八年前に京都から沖縄にやってきて、今やっと「沖縄の痛み」が分かってきました。
 沖縄は戦争末期の地上戦でさんざん痛めつけられました。戦後の講和・独立に際しては本土から切り離されアメリカの軍事基地とされました。
 一九七二年の本土復帰のときには「あの憲法の下に帰ろう」というスローガンのもと大いに期待が膨らみましたが、「無条件復帰・基地撤去」という県民の思いは裏切られました。基地は残り、その後も強化されつづけてきました。今でもイラク戦争の出撃拠点とされています。米兵による犯罪や事故をはじめ基地被害に苦しみ続けています。
 戦後一度も九条がその道りに適用されたことがないー その強い思いのある沖縄で憲法を語るのは、なかなか難しい面があります。います。

 しかし、沖縄で九条を守ることは、痛みを持つ者がはっきりと自覚して、二度とこういうことをやってはいけないのだということで、切実さと特別の重みがあります。いま、名護市辺野古で米軍の新基地建設に反対してすわり込みをしているおじい、おばあたちも「孫たちに同じ思いをさせ
ない」と言ってがんばって  私は、九条から取り残されてきた沖縄の痛みが分からずにきたことに気づいたとき、アジアの痛みにも十分思いを致してきただろうかと自問しました。そこを押さえて、侵略戦争への反省、アジア諸国への謝罪の意識を確立していかないと平和憲法の精神も生きてこないと思います。

真の平和めざす

 イエスの人生は、排除され、痛めつけられている人間と共に生き、共に立ちあがっていくことが人類の平和を実現する確かな道だと教えています。信仰は社会とのかかわりの中にあり、弱者に共感し、学びながら真の平和を目指して個人を変え、社会を変えていくものです。
 聖公会では、憲法改定の動きに対して二〇〇四年の総会で反対の決議をあげ、「正義と平和委員会」を中心に活動してきました。私個人もこれから「九条の会」に参加するなど、幅広い人々の共働に向けて真剣に努力したいと患っています。




 たに しょうじ1941年、奈良県生まれ。京都大学経済学部卒業。近畿日本鉄道に勤務ののち東京聖公会神学院で神学を学ぶ。72年から98年まで京都教区牧師。98年から沖縄教区主教。2002年から現職。
  
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by 9nara | 2006-12-31 09:07 | 憲法9条を語る