″ハチドリの一滴″のように
真言宗須磨寺派大本山・須磨寺塔頭正覚院住職 三浦真厳さん
お通夜の席などで、みなさんが真剣に考えておられるときに、お話しをさせていただくというのは、坊さんにとってとてもよい機会になります。
八十歳すぎて亡くなれば不足はないが、五十歳で亡くなる人はとかく短命で惜しいと言われがちです。
しかし、何歳で死んでもその天命、寿命を精いっぱい生きたことは全く同じであって決して「短命」ということではない。五十歳でも八十歳でも、そこに長い短いということはないと、お話をしています。
ただ、戦争で死ぬとなると、「天命を全うする」という言い方は通じません。平和憲法の下で亡くなられた方は天寿を全うできるけれども、戦争で亡くなった方は、その天寿を全うできなかったのだと思います。
尊い命を無駄に
今年、NHKの特集などさまざまな機会に、戦時中の硫黄島の悲劇がとりあげられました。たくさんの兵隊さんが「天皇陛下万歳!」と叫び、「玉砕」し「自決」しました。尊い命を無駄にしたのです。みな洗脳でそこまで追いこまれました。教育の「力」の恐ろしさが示されています。
教育基本法改定が強行されました。私たち戦中派から見ると九条改定との危険な結びつきを感じます。このようなものが強行されることは本当に不条理です。
イラクやアフガニスタンでは今も戦争が続き、世界のあちこちでテロや暗殺事件が繰り返し起きています。悲観的と言われるかもしれませんが、差別、格差、戦争、ちっともなくならない。まさに″戦国時代″です。
その中で、私たちがなんとかこの六十年間を平和に暮らしてきた、その大本にあるのは平和憲法だと思います。その素晴らしさは、これしかないとわかっているのですが、私には何とも言葉に表しようのないものです。
「青葉の笛」の音
文部省唱歌にも歌われた「青葉の笛」がこの寺に残されております。
一の谷の合戦で敗れ、海に逃れる平家方を迫った熊谷直実がある若武者の首をはねた。その若者とはまだ十六歳の少年・平敦盛でした。直実は敦盛のあまりの美しさにためらったものの、味方に悟られるのを懸念して殺します。直実は敦盛の腰に苗を見つけ、明け方に聞いた美しい笛の音の主だと気づき、殺し合う戦(いくさ)の世の無常を感じ出家を決意することになったといいます。その笛が戦の虚(むな)しさを現代に伝えております。
南米には、アマゾンの山火事に、一滴(ひとしずく)の水を懸命に運んで火を消そうとしたというハチドリの民話があるそうです。
「焼け石に水」と笑う大きな獣に、「私にできることはこれだけです」とハチドリは言ったそうです。
なかなか変わらない悪い世の中を、ちょっとでもがんばって、戦後六十年の平和の基礎にあったこの平和憲法を守りたい。このたびはそのハチドリの一滴のようなつもりで、お話をさせていただきました。
三浦真厳さん(みうら しんげん)1931年「満州」生まれ。高野山大学予科、早稲田大学を卒業。教職を経て正覚院(神戸市須磨区)へ。与謝無村、松尾芭蕉、良寛、山本周五郎など寺とゆかりの文化人と寺との交流の歴史を発掘。『須磨寺―歴史と文学-』、『古筆貼交屏風』『須磨寺古記録「当山歴代」影印本』など出版。
聞き手 中祖寅一 写 真 森保和史 「しんぶん赤旗」2006年12月18日付